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北八王子線7号鉄塔から9号鉄塔は細長い高倉町緑地に並んでいた。 短い北八王子線の最終鉄塔は北八王子線10号で、その高倉町緑地の西の端に立っている。ここはまだ八王子市高倉町だ。 突き当りの日野変電所に送電線を引下ろしていてわりと低い。 東京電力日野変電所は、高倉町緑地が甲州街道(都道258号八王子国立線)にぶつかるところ、コニカミノルタ東京サイト日野の向いにある、変圧器3台の小さな配電用変電所だった。送電線が八王子市と日野市の境界をまたいでいて、変電所のあるほうは日野市日野台五丁目。 なお、このあたりの甲州街道は長い間国道20号線だったが、2007年(平成19年)に日野バイパスが全通して正式な国道になると、都道に格下げされてしまった。 「毎日送電線」の[西に行こう]八王子線と北八王子線でも紹介されているように、GIS 化されていない、まさに古典的な配電用変電所なので、外から見ても実にわかりやすい。北から南に順序良く機器が配置されている。 手前の 1号線の断路器が開放されているのがわかる。北八王子線は2号線で運用されているようだ(少なくともこの日は)。 遮断器と母線の間にはいっている断路器で、こちらは 1号線、2号線ともに接続状態になっている。 金属棒に見える 3本の送電線が 3組、3台の変圧器に直結されている。変圧器の直前の断路器は省略されているようだ。3組のうち、両側の 2組は先ほどの断路器を介して回線側に接続、真ん中のは計器用変成器に接続されていた。さらに一段高いところにやはり 3本 1組の金属棒の母線が横断していて、これらを連結している。一応、母線にも断路器が 2組はいっていて、点検や工事を行う変圧器を、ある程度切り離せるようになっているが、全体としては、これ以上はない、というくらいシンプルな構成だ。 日野変電所には 3台の変圧器があって、66kV を 6.6kV の配電用電圧に降圧している。変電所の心臓部だ。 変電所の南の端には、配電用遮断器(フィーダーCB)が、変圧器に対応して一列に 3バンク並んでいる。それぞれ、7本ずつ計21本の高圧線を電柱に送り出して、日野市や八王子市の北西部に電力を供給している。 ところで、変電所の隣にあった天丼屋のてんぷ亭は、最近いつのまにかファミリーマート日野台五丁目店になっていた。店舗と駐車場のレイアウトの関係が変わって配電用遮断器の近くには寄れなくなってしまったので残念。 さて、どんな変電所にも秘密があるという経験則だが、この日野変電所の場合は、最初に出てきたケーブルヘッドだった。塀の隙間から覗いてみると、 「コニカミノルタ日野線1番 日野〜コニカミノルタ日野 6万25」 「コニカミノルタ八王子線1番 日野〜コニカミノルタ八王子 6万27」 とあって、地中送電線が、南隣と北隣のそれぞれの工場に向かっていた。今でこそ、コニカミノルタ東京サイト日野、コニカミノルタ東京サイト八王子、と名乗っているが、2003年(平成15年)にコニカとミノルタが合併するまで、ここは両方とも、かつてさくらカラーで一世を風靡していたコニカの事業場だった。 前身の株式会社小西六が日野市に工場を建設したのは、実に戦前の1937年(昭和12年)で、日野市発展の原動力となったいわゆる日野五社のひとつだ。その後、北八王子工業団地が造成されると、1963年(昭和38年)に当時の小西六写真工業は八王子事業場を建設した。南の日野市のほうがフィルム関係、北の八王子市のほうがカメラ関係という区分けだったらしい。そのコニカミノルタも 2006年(平成18年)には写真関連事業からは完全に撤退してしまった。 実は、南の高幡線から台町日野線という架空送電線が分岐していて、台町日野線4号鉄塔から東京サイト日野に電力を供給していた形跡がある。 コニカミノルタ東京サイト日野の敷地の南の端に立っている分岐用の鉄塔なのだが、今は、南から来た送電線を東に曲げているだけだ。この鉄塔は「毎日送電線」の[西に行こう]小さな送電路探検にも紹介されている。少し西に寄ったところに、受電設備があったが、 架空送電線の引下ろし鉄構も、今は使われていなくて、替わりにケーブルヘッドが見えている。日野変電所からはきっとここにつながっているのだろう。 さて、これで北八王子線の追跡も一応終了だ。 北八王子線鉄塔は4号から10号まで、いずれも 1979年(昭和54年)3月の建造だった。北八王子線は、駒橋線の路線を流用して建設されたものなので、1907年(明治40年)の駒橋線の頃からのことを考えると、もちろん原型鉄塔ではあり得ない。しかし、南多摩変電所から日野変電所に電力を届けるという現在の北八王子線が確立したのは、この 1979年(昭和54年)3月だったのだろう。 [北八王子線・長沼線2] 長沼線の歴史で推定したのとあわせると、1978年(昭和53年)7月に八王子線と長沼線、翌 1979年(昭和54年)3月に北八王子線、さらにその翌 1980年(昭和55年)2月に西平山線が、次々と南多摩変電所を電源とするようになったわけだ。こうしてみると、この付近の駒橋線は、結局、コンパクトな南多摩変電所からたくさんの架空送電線を取り出すための延長設備に姿を変えたかのようにも思えてきた。延長にしては少し遠いが。 ところで日野変電所はいつ頃できたのだろう。南多摩変電所より前からあったのだろうか。その場合は駒橋線で電力を受けていたことがあったのか? 決め手となるような資料(写真)がこれといって見つからないので、困っている。1971年(昭和36年)発行の国土地理院5万分の1地形図(の一部)に載っていた駒橋線は本当は何をしていたのだろう? 「送電線や変電所に限っては、国土地理院を全面的に信用するのもちょっと、、」 でも、長沼線と北八王子線の、現在の全体像はだいたい掴んだつもりなので《本日のまとめ》も完成だ。 全世界どこでもそうだと思うが、代表的な社会インフラである送電設備の発展は、鉄道や道路と同じように、地域の開発と密接に関わっている。つまり送電線の歴史は地域の近代史そのものと重なることになる。はからずも、自宅近くの送電線の路線はとりわけ古くまで遡ることができて、駒橋線、(旧)谷村線、八ツ沢線など、我が国最初期の送電線にまで至ることがわかってきた。 「ちょっとおおごとになってきた気がするなぁ」 だが、それだけ豊かな歴史を秘めているわけだ。八王子に引っ越してきた時には、こんなことは露ほども考えていなかった。 では、しばらくまた充電期間 (Cは小さいが Rが大きいので時定数は長い)をいただいて、次は、高幡線か八王子線あたりに進んでみたい。 また、よろしく。 |
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[台町日野線1] 台町日野線1、2、3、4号
高幡線31号鉄塔で高幡線から分岐した台町日野線は、日野市多摩平3丁目の多摩平団地の西の端の道路沿いに、北に進んで行く。シリーズタイトルを[台町日野線]に一時変更しておこう。 ...続きを見る |
66kV送電系統観察 2010/07/31 10:03 |
[高幡線9] 高幡線の歴史
高幡線は全長約11.11km の 66kV送電線だ。ただ、これは Google マップ上でいい加減に測った鉄塔間の水平距離の合計なので、ふつう亘長(こうちょう)と呼ばれている数字に近いはずだ。電線自体はたるんでいるので、本当の全長は当然これより少し長くなる。 ...続きを見る |
66kV送電系統観察 2010/08/28 08:26 |
スマートグリッド情報
ITを活用して一般家庭などの電力を効率的に利用するスマートグリッドは、地球温暖化対策の切り札として世界の有力企業が事業化に向けてしのぎを削っている。 電力計など期間技術を握る起業の争奪戦も激化している。 ...続きを見る |
太陽光発電価格 2011/05/15 22:33 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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bemsj 2011/11/03 03:38 |
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